将棋の駒を回して進む遊びを、うちの祖父は双六と呼んでいた。
回り将棋という名前を知ったのは、ずいぶん後になってからだ。子どものころは、将棋盤の外周をぐるぐる回るあの遊びが双六の一種だという説明を、特に疑問にも思わず受け取っていた。
実際、回り将棋は将棋盤を使用した一種のすごろくで、地方によって呼び名が異なり、ふまわり、すごろく将棋、出世将棋などと呼ばれてきた。ルールもそれぞれの土地で違っている。
出世将棋。この名前を知ったとき、なるほどと思った。歩から始まって香、桂、銀、金と上がっていく数字の並びは、そのまま将棋の駒の格の順番になっている。ただの数字の割り当てだと思っていたものが、身分の階段だった。
盤の上をぐるりと一周する遊びには、思っていたより長い背景があった。
双六という遊びの系譜
二種類の双六が存在する
双六という言葉は、実はまったく異なる二つの遊びを指している。
ひとつは盤双六と呼ばれるもので、二人が盤を隔てて向かい合い、交互にさいを振って出た目の数によって盤上の駒を進め、早く相手の陣に全部入れた方が勝つ遊びだ。インドに起こり、日本には奈良時代に中国から伝来したとされる。現代のバックギャモンに近い形式で、江戸時代までは上流階級の娯楽として広く行われていた。
もうひとつは絵双六で、紙面を多数に区切って絵を描いたものを使い、数人が順にさいを振って出た目の数だけ区切りを進み、早く上がりに達した者が勝つ遊びだ。回り双六と飛び双六の二種類がある。正月の遊びとして親しまれてきたのはこちらの方で、俳句の季語としても新年に分類される。
回り将棋の構造を見ると、外周のマスを順に進んで一周を目指す形は、絵双六のうち回り双六の系譜にあたる。
賭博として禁じられた歴史
盤双六には、意外なほど古い記録が残っている。
さいころによる偶然の要素が大きいことから賭博として用いられ、日本書紀によれば689年12月に持統天皇によって初めての禁止令が出されている。正倉院の宝物の中には、聖武天皇の遺愛品とされる木画紫檀双六局が納められている。
天皇が禁じ、また別の天皇が愛用していたという事実が、この遊びの持っていた引力を物語っている。
鎌倉時代の西園寺公衡、室町時代の伏見宮貞成親王、戦国時代の山科言継といった人々の日記にも、盤双六の記録が残されている。時代を超えて、身分の高い人々の日常の中に双六があった。
婚礼の調度としての盤
雛飾りの雛道具では、碁盤と将棋盤と雙六盤の三面を婚礼調度のミニチュアとして並べることがある。盤雙六はかつて上流階級の婦女子のたしなみでもあった。
盤を使う遊びが教養として扱われていた時代の名残が、雛人形の飾りの中に今も残っている。碁と将棋と双六が並んで置かれる構図は、これらが同じ格の遊戯として認識されていたことを示している。
双六と雙六は別の遊びだという指摘
日本の遊戯の歴史における研究家である増川宏一は、江戸時代以前の記録類において雙六と双六の使い分けがはっきりしていること、日本語以外の言語でも盤雙六系と絵双六系にそれぞれ違う単語が当てられていることから、両者は同じすごろくでも全く別の遊戯であり、雙六に双六という表記を用いるのは不適切だと唱えている。
同じ音で呼ばれてきた二つの遊びが、本来は別のものだったという指摘は興味深い。回り将棋を双六と呼ぶとき、それは絵双六の系統を指している。
遊び方と、あの正月の発見
将棋盤の外周が舞台になる
将棋盤の外周には40のマスがある。この一周を進む道として使うのが、回り将棋の基本の形だ。
スタート地点をひとつ決め、参加者それぞれが自分の駒をコマとして置く。順番に一枚の駒を指先で回し、倒れた駒の上面の文字によって進む数が決まる。
進む数の割り当ては、駒の格の順に並んでいる。歩が1、香が2、桂が3、銀が4、金が5、角が6、飛が7。そして王将や玉将が出たときは特別扱いになる。全員がスタートに戻る設定を採る家庭が多かったが、これは地域や家庭によって大きく異なる。
地域によっては、大きな数が出たときに歩数分進むのではなく、次の角にワープしながら位が一つ上がるという独自のルールを持つ家庭もある。
駒を回す感触
親指と人差し指の先で駒をつまみ、軽くひねって離す。強すぎると横に飛び、弱すぎると回らずに倒れる。この力加減が意外と難しく、慣れるまでに何度か失敗する。
うまく回ったときは、駒が独楽のように回転してから、すとんと倒れる。倒れる瞬間まで何が出るか分からない緊張が、この遊びの中心にある。
体験談
小学6年の正月だった。
親戚の家で回り将棋をやっていて、ふと気づいたことがあった。歩が1で飛が7という進む数の順番が、将棋の駒の強さの順番と同じだった。
そのことを口にしたら、叔父が「よく気づいたな」と言った。歩は最も弱くて一マスしか動けない。飛車は盤上をどこまでも進める。その強さの差が、そのまま進む数になっている。
叔父が続けて「だから出世将棋とも言うんだ」と教えてくれた。将棋の駒の階級を上がっていくように、コマも進んでいくという意味だと。
その日以降、駒を回すときの感覚が少し変わった。歩が出ればがっかりして、飛が出れば声が出る。その反応の裏に、駒の身分の差が組み込まれていたことを知ってからは、遊びの見え方が変わっていた。
ルールを知っているだけの状態と、なぜそのルールになっているかを知った状態では、同じ遊びが違うものになる。あの正月に叔父から聞いた一言が、そのことを教えてくれた。
気をつけたいこと
駒を強く回しすぎると盤の外に飛んで、床に落ちて欠けることがある。木製の駒は角が欠けやすいため、テーブルの上より畳の上の方が安心して遊べる。小さな子どもが参加する場合は、駒の誤飲に注意して大人が近くにいること。
令和アレンジ
絵双六として自作する
厚紙にコースを描き、各マスに指示を書き込んだオリジナルの双六を作る。進む数の決め方は将棋の駒を回す方式のまま使い、コースだけを自作にすると、伝統的な仕組みと自分たちの創作が組み合わさる。
家族の思い出を各マスに書き込む、住んでいる町の名所を並べる、学校の一年の行事を並べる。何をコースにするかを決める段階から遊びが始まる。
双六の歴史を調べる自由研究に
奈良時代の伝来、持統天皇の禁止令、正倉院の宝物、江戸時代の絵双六の流行、明治以降の教育双六。双六という一つの遊びを軸に日本の歴史をたどる自由研究は、時代ごとの社会の様子まで見えてくる題材になる。回り将棋という身近な遊びを入り口にすると、調べる動機が生まれやすい。
駒の格と数字の関係を教える題材として
将棋を教える前段階として、駒の名前と強さの順番を回り将棋で覚えさせる。歩が弱くて飛が強いという序列を、進む数の大小として体で覚えた子どもは、本将棋を始めたときに駒の価値への感覚をすでに持っている。
正月の家族行事として定着させる
絵双六は新年の季語とされてきた遊びだ。正月に将棋盤を出して家族で回り将棋をやる習慣を作ると、年に一度の恒例行事として記憶に残りやすい。毎年の勝者を記録するノートを作れば、何年か経ったときに家族の歴史として読み返せる。
高齢者施設での卓上レクリエーションに
椅子に座ったまま卓上で完結し、ルールが五分で理解でき、将棋を知らない人でも参加できる。この三つの条件が揃った遊びは意外と少ない。将棋の駒に触れること自体が懐かしさを呼ぶ世代には、盤を出した瞬間から表情が変わることがある。
将棋双六が育てるもの
順番を待ちながら期待を保つ力
自分の番が来るまで待ち、来たら駒を回して結果を受け取る。この待つことと期待することのサイクルが、幼い子どもにとっては十分に難しい課題だ。何度も回ってくる自分の番が、待つことへの慣れを少しずつ作っていく。
序列という概念への気づき
歩から王将までの順番があること、その順番が進む数の大小に対応していることに気づいたとき、子どもは階層という概念に触れている。強いものと弱いものがあり、それが順序として並んでいるという理解は、数の大小の理解とも重なりながら育っていく。
偶然を受け入れる経験
どの文字が出るかは選べない。一位を走っていても、誰かが王将を出せばすべてが振り出しに戻る。この理不尽さを繰り返し受け入れる経験が、結果をコントロールできない状況での気持ちの処理を練習させる。
遊びの背景を知る楽しみ
なぜ歩が1で飛が7なのか。なぜ双六と呼ぶのか。ルールの背後にある理由を知ることで、同じ遊びが違う深さを持ち始める。この背景への興味は、他の遊びや文化に対しても同じ問いを立てる姿勢につながっていく。
まとめ
将棋盤の外周を回るあの遊びには、奈良時代から続く双六の系譜が流れている。
賭博として禁じられ、正倉院に納められ、公家の日記に登場し、雛飾りの調度として並べられてきた盤の遊びが、時代を下って将棋の駒を使う子どもの遊びに姿を変えた。その一続きの流れの端に、昭和の正月の畳の上があった。
駒を回すときの緊張、王将が出たときの声、一周してスタートに戻ったときの達成感。どれも千年以上前から続いてきた双六の感触と、どこかでつながっている。
正月に将棋盤を出す機会があれば、駒の格と進む数の関係を子どもに話してみてほしい。ルールの理由を知ると、ただ回していただけの駒が少し違って見えてくる。
